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「慰安婦」問題に焦点を当て、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のブログです。
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日韓首脳会談に思う
日韓首脳会談後のマスコミ報道を見ていると、「韓国は政権が変わるたびにコロコロ変わる」「蒸し返さないよう約束させなければならない」という高圧的な主張が目立つが、その主張の前提となる事実認識が間違っていると思う。

1990 年代に日本軍「慰安婦」問題に関する真相究明や日本政府に対する賠償問題がもちあがって以降、盧泰愚からはじまり、金泳三、金大中、盧武鉉の各大統領まで、日本軍「慰安婦」問題を外交問題化しない韓国政府の方針は一貫していた。

盧泰愚政権は、1990年10月17日付の女性たちの公開書簡に対して、日本の政府には実態調査の努力は求めるが、「補償問題は1965年の韓日請求権協定の締結によって両国政府間の国際法上の権利と義務は一段落した事項」と回答した。

1993年に就任した金泳三政権は、「日本に対して道義的優位性を持つ立場から真相究明を要求する」として、韓日協定に対する解釈とは関係なく、補償を要求しないということは「韓日間に外交問題として争点化させない」と説明した。

金大中政権は「アジア女性基金」に対しては厳しい立場を貫いたものの、請求権の問題で日本政府に交渉しているわけではなかった。だから、ハルモニたちは、日韓請求権協定で「慰安婦」問題が議論されたのか、本当に「解決」してしまった事項なのかを知りたくて、日韓請求権協定に関する文書を公開するよう求めたが、金大中政権下の韓国外交通商部は公開を拒否をした。だから2002年10月、日本軍「慰安婦」被害者、被爆者、軍人、軍属等がソウル行政法院に韓日協定文書の情報公開訴訟を提起したのだった。

大きな転機になったのはその判決が出た盧武鉉政権だ。盧武鉉政権下の2004年2月、情報公開訴訟でハルモニたちが勝訴。2005年8月、国務総理主催の民官共同委員会は、日本軍「慰安婦」問題等、日本政府軍等国家権力が関与した反人道的行為については、請求権協定によって解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任は残っている、と表明した。

にもかかわらず、盧武鉉政権は日本政府に対して何も外交的な働きかけをしなった。ハルモニたちの再三の要求に対して、2006年3月に、「1965年請求権協定により法的責任が終結したという日本と消耗的な法的論争を繰り広げるより高齢の被害者に対する実質的支援が重要だという観点から、我が政府が被害者救済措置のため、このような道徳的優位の観点から日本側には物質的賠償を要求しないという立場を堅持してきた」と返答してきたのだった。

ハルモニたちは怒った。請求権協定で解決していないと表明したのに、なぜ日本政府と外交交渉をしないのか! 
2006年7月、日本軍「慰安婦」被害者109名は、憲法裁判所訴願審判請求書提出した。

そして、韓国の憲法裁判所がその判断を下したのが2011年8月30日、李明博政権の時だった。
憲法裁判所の決定は日本政府に対するものではない。日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権が日韓協定で解決されたか否かに関する日韓両国間の解釈上の紛争を解決しないでいる韓国政府の不作為が違憲である、と決定したのだった。だから、韓国政府は違憲状態にしないためには、外交交渉を始めなければならない。
2011年9月15日、日本政府に二国間協議を提案したのが、今に続く外交交渉の始まりだった。

これまでの経緯をみれば、「慰安婦」問題に対する韓国政府の姿勢に変化をもたらしたのは、日本軍の「慰安婦」にされた女性たちの闘い、とりわけ真相究明と情報公開に基づく司法判断という極めて正当な手段によるものであり、それは2011年にやっともたらされたのだった。1990年代から2000年代、国連の場で日韓政府が「慰安婦」問題でバトルをしていたとしても、それは「ポーズ」のようなもので本気には見えなかった。

韓国政府に対するハルモニたちの怒りを思い起こせば、韓国政府もやっと少しは「まとも」になった、というところだろう。
日本の最高裁には期待できず、憲法解釈まで勝手に変えてしまう政府を変えられない日本の状況から見れば、「慰安婦」問題をめぐるこの状況は韓国民衆がもたらした変化であり、民主化の深化であるとみるほうが妥当ではないだろうか?

このあいだ、「日本の歴史家を支持する声明」を出した米国人の一人から、韓国政府は憲法裁判所の決定を政治的に利用しているのではないか、と言われてびっくりした。米国の日本研究者は、情報ソースが主に日本語と英語のため、韓国のことがわかっていないことが多々ある。韓国の三権分立は私にはかなりマシに見える。例えば、フィリピン最高裁は2010年、フィリピンの「慰安婦」被害者のロラたちの訴えに対して、「外交には介入できない」として棄却したが、まるで砂川判決を聞いているような気分ではないか?

韓国政府への批判だって山のようにある。韓国政府が「慰安婦」にされた被害者の要求を十分に聞いてきたとは思わないし、李明博や朴槿恵の「慰安婦」問題に対する態度に批判したい点は多々あるし、最近の国定教科書問題なんて馬鹿げている。

でも、あらためて思う。女性の人権課題をここまで政治課題にさせたハルモニたちの闘いはすごい! 軍による女性への性暴力の対応をめぐって首脳会談を開かせなかったなんて、歴史上初めてじゃないだろうか。偉そうにしている欧米にだってできる芸当ではない。






NHKラジオでヤン・バニング展放送
10月10日から25日までキッド・アイラック・アート・ホールで開催された、
ヤン・バニングのComfort Women―インドネシアの日本軍「慰安婦」―展。

そこにNHKワールドのインドネシア語ラジオ放送の取材チームが来てくれました。
今日(11月2日)20:15から、写真展の概要、来館者の感想などがニュースのひとつとして
放送されることになりました。ちょうど日韓首脳会談のニュースの後くらいとか。
インドネシア語がわかる方はここからどうぞ。放送時間が近づくと、「スピーカーマークとDengarkan Sekarang」の欄がアクティブになるそうです。

後日聞きたい方、インドネシアのお友達に紹介する場合などは、以下で放送日をさがして下さい。
NHKインドネシア語ラジオ

インドネシアのイブ(インドネシア語でおばあさん。ハルモニみたいなかんじ)たちが、
日本でもヤン・バニング展が開かれたこと、たくさんの日本の人たちが、イブたちの強いまなざしから影響を受けたこと、忘れないと誓い、行動を起こそうと考えたことなど、伝わるといいなと思います。

(m)


【資料紹介】中曽根元首相が「取計」ったボルネオ島バリクパパンの慰安所(J_004)
不定期更新になるかと思いますが、「河野談話の日」(…とwam内で命名:8月4日)に公開したwamウェブサイトの新しいコンテンツ、「河野官房長官談話後に発見された日本軍『慰安婦』関連公文書等の公開」ページにある公文書をwamブログで紹介していこうと思っています。

と言っても、それらについては公文書を発見・公表した研究者や市民によって、すでに論文が発表されているわけですから、それら論文の解説をかいつまんで紹介するという二番煎じ的なものなのですけれどね。でも、ネットでの情報発信、本当に大事だと思うので、できる限り頑張って紹介していこうと思います☆

…ということで、記念すべき第1回目は、やはり、wamの特別展と関連させてインドネシアの慰安所に関する資料を紹介しましょう!

【資料No.072:J_004】日本軍/政府資料「海軍航空基地第二設営班資料」(1962.4)

こちらの資料についてはご存知の方も多いかもしれません。
中曽根康弘元首相の名前が出てくる資料なんです。

中曽根元首相と言えば、「二十三歳で三千人の総指揮官」という手記(『終りなき海軍』松浦敬紀編著/文化放送/1978年)で、「私は苦心して、慰安所を作ってやったこともある」と書いていることも有名です。
中曽根元首相の手記2 中曽根元首相の手記1

そして、先月のTBS「報道特集」でも、話題になっていましたが、2007年3月に中曽根元首相が日本外国特派員協会で記者会見をしたときに、この記述も話題となって、外国人記者からの質問に対して、この慰安所は「碁・将棋をやる娯楽所」だったと答えたことも、報道されてきました。

それが真っ赤なウソだったことが、2011年にこの資料が発見されたことによって明らかになりました。
資料を発見したのは、高知の市民団体「平和資料館・草の家」のみなさんです。

防衛省の防衛研究所に所蔵されている「海軍航空基地第二設営班資料」には、「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」とインドネシアのボルネオ島(現カリマンタン島)のバリクパパンでの慰安所開設に関する記述かあります。

公文書J_004_3

さらに、主計長の名前にしっかりと「海軍中尉 中曽根康弘」ってあるんです。

公文書J_004_1

この資料を見つけた「平和資料館・草の家」は記者会見を開き、さらに中曽根元首相に公開質問状を送ってその真偽を問うているのですが、お返事はないとか。wamも現在開催中の「インドネシア・オランダ展」の準備中にぜひお話を聞きたいとお手紙を出したのですが、残念ながらお返事はもらえませんでした。


この資料は、河野談話後に発見された公文書に関する論文一覧で言えば、
藤原義一「タバオ、バリックパパン海軍航空基地 第二設営班慰安所の資料」『季刊戦争責任研究』75号、2012年春季号
に紹介されています。

「平和資料館・草の家」でのこの資料に関する説明会のようすが↓で見られます。
「中曽根元首相と海軍慰安所」(1/2) (2/2)





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