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「慰安婦」問題に焦点を当て、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のブログです。
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日本軍「慰安婦」制度の被害者の証言から分かること
橋下市長はその発言の中で、被害者の証言が「客観的な証拠になりえなかった」と語っていますが、そんなことは決してなく、日本政府を相手に提訴された日本軍による性暴力被害者の裁判10件のうち、8件で被害の事実が認定されています。


9月2日の「wam de カフェ」で配布した資料には、日本国内でも裁判や証言集会などでよく知られている朝鮮半島の女性たちの連行の経緯のリストも含まれていました(資料p12)。そのリストを見てもらえば分かるとおり、「お金が儲かる」「学校に行ける」などの甘言、詐欺によって連れてこられたという証言が多いです。


しかし、このリストの中にも「強制連行」のケースはあります。例えば文玉珠(ムン・オクチュ)さんは路上で巡査に捕まって憲兵隊のようなところへ連れて行かれたというケースですし、日本に女子挺身隊として来られた姜徳景(カン・ドッキョン)さんは、空腹で軍需工場を脱走したところを憲兵につかまり強かんされ、それから慰安所に連行されました。その他、区長、班長といった村の役職をもった権力者たちや、女衒のような朝鮮人男性たちの言葉で連れて行かれているケース、夫や親から身売りされたケース、誘拐されたケースもありました。


当時の朝鮮では未婚女性の動員のために、「挺身隊」や「処女供出」が「徴用」と同義語で使われていました。日本人の巡査や村の権力者から命じられた「処女供出」から逃れるために、娘たちが家や村を離れて隠れたり、駆け込み結婚や、実態のない結婚届けを出すケースもありました。中には黄錦周(ファン・クムジュ)さんのように、「一家に一人は供出」と言われて、奉公先の主人の娘の身代わりとなって徴用された人もいました。


1941年7月ごろ、「関特演」といって、日本陸軍は対ソ連戦のために「満州」へ兵力増強の計画を立てました。この時、関東軍参謀の原善四郎少佐が、朝鮮総督府に朝鮮人女性の徴集を依頼し、8000人を集めたと言われています。これに対して原少佐の部下だった村上貞夫氏は、「私の記憶では、3000人くらいだった」と証言していますが、徴集された女性たちは軍用列車で移送され、長春の兵站班から各地に配属されました。これだけ大量の女性を徴集するには、詐欺や誘拐、徴用など、さまざまな方法がとられたと思われます。


これらは命令書や文書に記述が見つかるような類のものではなく、証拠といえば本人の証言しかありません。さまざまなケースがありますが、特に朝鮮半島の場合は、だまされたケースが多いので、そういうところを狙って、否定派の人たちは「強制連行の証拠はないだろう」と言ってきます。しかし、一人ひとりのケースを丁寧に見ていくことで、「文書に記述がないからといって、強制連行がなかったことにはならない」と伝えていかなければなりません。


半世紀もの間、語れずに苦しんでいた女性たちが、やっとの思いで立ち上がって語り始めた、その言葉を丁寧に聞くことで、いろんなことが分かってくるし、それが一番確かなことなのです。


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