※10月13日(土)に開催するシンポジウム「アルゼンチン・正義を求める闘いとその記録 性暴力を人道に対する犯罪として裁く!」に向けて、wam会員MLに投稿したアルゼンチン訪問報告を転載します。
■ アルゼンチン報告(1)
(2018年9月19日)
みなさま
ブエノスアイレスから13時間のフライトを終え、アムステルダムで成田行きのフライトを待っているところです。
先週水曜日から、打ち合わせも兼ねてブエノスアイレスを訪問、
現地から報告を書こうと思いつつ、どこをどう書いたら面白さが伝わるのか、逡巡したまま時間が過ぎてしまいました。
そもそも「なんでアルゼンチンなの?」という疑問があるかもしれません。
今回の現地訪問で感じた面白さ、すごさ、関わる人たちの魅力については、追々お伝えしていきたいと思いますが、初めの「出会い」は去年のことでした。ジェノサイドに関してバングラデシュで開かれていた会議で、アルゼンチンの元裁判官が「5月広場の母」たちが掲げている三角のスカーフを掲げて、そこに書かれた文字を読みあげていました。
「私は忘れない、私は許さない、私は和解しない」
日本で「和解」が最も重要な目的であるかのように語られ、また被害者が「許す/赦す」ことを期待されていることに暗澹たる気持ちになっていたなかで、この「宣言」は衝撃でした。
そして「そう言っていいんだ」という、なんとも言えない解放感さえ感じたのでした。
もう一つのきっかけは、ユネスコ記憶遺産でした。日本軍性奴隷制の関連文書登録は、いまも「保留」のままであって、日本の圧力によって登録許否されたわけではありません。
「対話」の手続きも含めて、これから何らかの動きがあるはずですが、異常に時間がかかっている状況です。
ユネスコ記憶遺産に近年「人権侵害の記録」が多く含まれているのは、これらが人類の重要な記録であるとともに、政治状況によっては破壊の危機にさらされるということがあります。
アルゼンチンでは、これらの人権侵害に前向きに取り組んだ前政権の2007年、軍事政権下の人権侵害の記録群をユネスコ記憶遺産に申請し登録されました。
そこで、アルゼンチンの経験を聞くためにコンタクトを取り、スカイプ会議で議論をしたりしたなかで、すごい取り組みがなされていることを聞かされました。
それは、40年近く前の秘密拘禁所での性暴力が、人道に対する犯罪として、いまアルゼンチンの国内の裁判所で裁かれているという事実でした。
軍人や警察による犯罪、とりわけ性暴力を、人道に対する犯罪で現実に裁いているという話に衝撃を受け、それがなぜ可能になったのか、詳しく知りたくなりました。
背景には、国会などで不処罰を可能にしてきた法律を無効化したり、大統領特赦を無効にする最高裁の判断など2000年代の動きがありますが、それには、奪われた子の行方を探して諦めない「母たち」の絶え間ない運動や、人権団体の活動が不可欠でした。
活動を率いてきた「5月広場の母」のノラさん、人権団体や市民運動が集めてきた聞き取りの記録を保管し公開するメモリア・アビエルタ(「開かれた記録」の意)のディレクター、そして、サバイバーで性暴力被害を告発した女性、という3人をお招きする10月のシンポの枠組ができあがっていきました。
サバイバー女性については、メモリアから検事を通じて紹介してもらうことになり、承諾してくれたのがグラシエラさんでした。
グラシエラさんが拘禁されたのはESMAと呼ばれる海軍の施設で、そこには5000人が連行され、生き延びたのは250人だといいます。アルゼンチン国内に500近くあるという秘密拘禁施設でも最大のもので、2000年代にその施設は記憶のための場所となり、現在は展示がある教育施設にもなっています。
グラシエラさんは、ポートレートを撮る写真家でもあり、お寿司が大好きだと話す素敵な女性でした。
「ESMAを訪ねてどうたったか?」と聞かれたので、「ものすごく凄惨な人権侵害がなされた場所だけれど、最後の部屋で、加害者の写真が次々と映され、それぞれに有罪宣告されたことで、すごく希望を感じた」と話しました。グラシエラさんも両こぶしをあげながら、拘禁施設での全体的な犯罪ではなく、彼らがなした性暴力に対して有罪宣告された時の喜びを語っていました。
今回お招きする3名の女性は、みなさん、とっても素敵な方々で、気持ちが通じてほっとしました。
現地の秘密拘禁施設も3か所訪問してきましたが、話している場所の景色がわかるのも大事なことだと思うので、フェイスブックなどに写真をあげていきたいと思います。
1977年から毎週木曜日に行われている「5月広場」でのデモについては、wamのFacebookに載せているので、ぜひ見てみてください。
https://www.facebook.com/wampeace/

*************
さて、そろそろ移動しなくてはならないので、松野さんにならって報告(1)とします。
人権問題への取り組みで「先進国」といえるアルゼンチンについて、日本語で学ぶのは容易ではなく、「今」を知ることのできる新しい文献は限られています。
時差は12時間、季節も反対のまさに日本の裏側にある国ですが、この秋、集中的に学ぶ気持ちで、wamでも企画を提案していきたいと思います。
そういう意味でも、来週水曜日の大串和雄さんのセミナーは、ぜひお見逃しなく!!
アルゼンチンの法的な枠組みや背景、他のラテンアメリカとの比較しても面白いアルゼンチンの取り組みを正確に説明していただく予定です。
ではまた。
アムステルダム、スキポール空港にて
渡辺美奈
■ アルゼンチン報告(1)
(2018年9月19日)
みなさま
ブエノスアイレスから13時間のフライトを終え、アムステルダムで成田行きのフライトを待っているところです。
先週水曜日から、打ち合わせも兼ねてブエノスアイレスを訪問、
現地から報告を書こうと思いつつ、どこをどう書いたら面白さが伝わるのか、逡巡したまま時間が過ぎてしまいました。
そもそも「なんでアルゼンチンなの?」という疑問があるかもしれません。
今回の現地訪問で感じた面白さ、すごさ、関わる人たちの魅力については、追々お伝えしていきたいと思いますが、初めの「出会い」は去年のことでした。ジェノサイドに関してバングラデシュで開かれていた会議で、アルゼンチンの元裁判官が「5月広場の母」たちが掲げている三角のスカーフを掲げて、そこに書かれた文字を読みあげていました。
「私は忘れない、私は許さない、私は和解しない」
日本で「和解」が最も重要な目的であるかのように語られ、また被害者が「許す/赦す」ことを期待されていることに暗澹たる気持ちになっていたなかで、この「宣言」は衝撃でした。
そして「そう言っていいんだ」という、なんとも言えない解放感さえ感じたのでした。
もう一つのきっかけは、ユネスコ記憶遺産でした。日本軍性奴隷制の関連文書登録は、いまも「保留」のままであって、日本の圧力によって登録許否されたわけではありません。
「対話」の手続きも含めて、これから何らかの動きがあるはずですが、異常に時間がかかっている状況です。
ユネスコ記憶遺産に近年「人権侵害の記録」が多く含まれているのは、これらが人類の重要な記録であるとともに、政治状況によっては破壊の危機にさらされるということがあります。
アルゼンチンでは、これらの人権侵害に前向きに取り組んだ前政権の2007年、軍事政権下の人権侵害の記録群をユネスコ記憶遺産に申請し登録されました。
そこで、アルゼンチンの経験を聞くためにコンタクトを取り、スカイプ会議で議論をしたりしたなかで、すごい取り組みがなされていることを聞かされました。
それは、40年近く前の秘密拘禁所での性暴力が、人道に対する犯罪として、いまアルゼンチンの国内の裁判所で裁かれているという事実でした。
軍人や警察による犯罪、とりわけ性暴力を、人道に対する犯罪で現実に裁いているという話に衝撃を受け、それがなぜ可能になったのか、詳しく知りたくなりました。
背景には、国会などで不処罰を可能にしてきた法律を無効化したり、大統領特赦を無効にする最高裁の判断など2000年代の動きがありますが、それには、奪われた子の行方を探して諦めない「母たち」の絶え間ない運動や、人権団体の活動が不可欠でした。
活動を率いてきた「5月広場の母」のノラさん、人権団体や市民運動が集めてきた聞き取りの記録を保管し公開するメモリア・アビエルタ(「開かれた記録」の意)のディレクター、そして、サバイバーで性暴力被害を告発した女性、という3人をお招きする10月のシンポの枠組ができあがっていきました。
サバイバー女性については、メモリアから検事を通じて紹介してもらうことになり、承諾してくれたのがグラシエラさんでした。
グラシエラさんが拘禁されたのはESMAと呼ばれる海軍の施設で、そこには5000人が連行され、生き延びたのは250人だといいます。アルゼンチン国内に500近くあるという秘密拘禁施設でも最大のもので、2000年代にその施設は記憶のための場所となり、現在は展示がある教育施設にもなっています。
グラシエラさんは、ポートレートを撮る写真家でもあり、お寿司が大好きだと話す素敵な女性でした。
「ESMAを訪ねてどうたったか?」と聞かれたので、「ものすごく凄惨な人権侵害がなされた場所だけれど、最後の部屋で、加害者の写真が次々と映され、それぞれに有罪宣告されたことで、すごく希望を感じた」と話しました。グラシエラさんも両こぶしをあげながら、拘禁施設での全体的な犯罪ではなく、彼らがなした性暴力に対して有罪宣告された時の喜びを語っていました。
今回お招きする3名の女性は、みなさん、とっても素敵な方々で、気持ちが通じてほっとしました。
現地の秘密拘禁施設も3か所訪問してきましたが、話している場所の景色がわかるのも大事なことだと思うので、フェイスブックなどに写真をあげていきたいと思います。
1977年から毎週木曜日に行われている「5月広場」でのデモについては、wamのFacebookに載せているので、ぜひ見てみてください。
https://www.facebook.com/wampeace/

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さて、そろそろ移動しなくてはならないので、松野さんにならって報告(1)とします。
人権問題への取り組みで「先進国」といえるアルゼンチンについて、日本語で学ぶのは容易ではなく、「今」を知ることのできる新しい文献は限られています。
時差は12時間、季節も反対のまさに日本の裏側にある国ですが、この秋、集中的に学ぶ気持ちで、wamでも企画を提案していきたいと思います。
そういう意味でも、来週水曜日の大串和雄さんのセミナーは、ぜひお見逃しなく!!
アルゼンチンの法的な枠組みや背景、他のラテンアメリカとの比較しても面白いアルゼンチンの取り組みを正確に説明していただく予定です。
ではまた。
アムステルダム、スキポール空港にて
渡辺美奈
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