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「慰安婦」問題に焦点を当て、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のブログです。
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アルゼンチン報告(3)
※10月13日(土)に開催するシンポジウム「アルゼンチン・正義を求める闘いとその記録 性暴力を人道に対する犯罪として裁く!」に向けて、wam会員MLに投稿したアルゼンチン訪問報告を転載します。




■ アルゼンチン報告(3)
(2018年10月9日)

みなさま

アルゼンチンのシンポジウムももう今週土曜日にせまってきました。
準備等に追われて遅くなってしまった報告(3)は、記憶の場(Sitos de Memoria)についてです。

アルゼンチン内に、秘密拘禁施設として使われた場所は500以上あると言われています。
そのなかの40か所くらいが、地域社会の努力によって「記憶の場」になっていて、現地では「記憶の場」になったことを「回復した」という言葉を使っています。
そのような「記憶の場」を3ヵ所と、直訳すれば「記憶の公園」と呼ばれる場所を訪ねてきました。
写真は、https://www.facebook.com/wampeace/ からご覧ください。


●オリンポ●

オリンポどれも印象深いのですが、そのなかでも、新たな気付きを与えられた場所から紹介したいと思います。
それは「オリンポ」と呼ばれる秘密拘禁施設で、ブエノスアイレス市内なのですが、中心部からは車で2時間くらいかかったと思います(というのも、ご存知の通り、アルゼンチンのは通貨急落と激しいインフレが進行中で、各地でデモが行われていて思うように車が進みません。
でも、それを当たり前の権利の行使としてて受け止めているかんじもアルゼンチン的・・・)。

「オリンポ」は連邦警察があったところでした。警察にその敷地を手放させるために、住民たちの粘り強い運動があり、この国有地がブエノスアイレス市に移ったのが2005年。真実・記憶・正義の政策を進めた前キルチネル政権のときでした。警察が抵抗し、手渡された時にはごみの山の片付けから始まったと、説明をしてくれたマルさんは話していました。


●終わらせない意志●

住民たちは「教育」を活動の中心に置いています。幼稚園(!)から小学校の子どもたちを中心に、この施設では、様々な人権に関する教育プログラムを実施しています。ここでは、はじめから拘禁や拷問が行われた建物へは行きません。まず、教育棟で、強制失踪となった一人一人について、工夫を凝らしたアルバムを見たり、ワークショップをしたりして、強制失踪となった人がどんな人だったのか、出会うことから始まります。
そもそも、このような拷問と殺戮が行われた施設を「観光地」のようにして、人がやって来て、写真をパシャパシャ撮る、といった考え方そのものに、強い抵抗があったといいます。また、長い議論の末、場を「そのまま」残すこと、「きれいにしてしまわないこと」を選んだとも言っていました。秘密拘禁施設だったときから20年以上経て、この場は「回復」されたわけで、当たり前ながら当時のままではありません。しかし、当時の写真や証言から、ここが何だったかを言葉で説明します。一人分の区画がわかるようにとか、トイレになっていたところのサインはありますが、想像力を必要とする「場」でもあります。また、パネルのひとつには、詩人の言葉をひいて、このような人権侵害の記憶は「unrest」のままでなければならない、心をザワザワさせ続けさせなければならないというか、終わらせないままにしなくてはならないという意味の言葉が書かれていました。「水に流す」の反対で、終わったことにしてはならないことが、この真実・記憶・正義の運動の了解事項のようでした。


●家族だからではない●

教育棟の壁面には、このオリンポで「強制失踪」した人たちの写真が掲示されています。
その中の一人、労働運動のリーダーをしていて、この秘密拘禁施設に入れられた一人の写真を指さしながら、マルさんは「この人の弟さんが、このような秘密拘禁施設を私たちは許すのか、と住民たちに問いかけたのです」と話しました。そして「その時、この弟さんは自分の兄が強制失踪したことを言いませんでした。あくまで、私たちのコミュニティは、このような人権侵害を許すのか、ということを問うたのです」と強調しました。

「慰安婦」問題の集会で、「このハルモニがあなたのおばあさんだと想像してください」とか、「あなたの娘がこのような目にあったことを想像してください」という言葉を聞くことがあります。他人ごとではない、自分のことなんだ、ということを伝えるためにこのような表現を使うことだとは思いながらも、家族関係の言葉で表現することに、私はずっと違和感を抱えていました。オリンポでのこのエピソードは、個人的な家族関係に依るのではない、誰の人権侵害も私は、私のコミュニティは許さないんだ、というポジションのあり方に改めて気づかされた気がしました。
実は、この施設に車で連れていってくれたメモリア・アビエルタのスタッフの男性とは、車の中でも事務所でも、そしてビールを飲みながらもいろんな話をしたのですが、帰国日の前日になって、自分の兄は強制失踪したと話してくれました。それは隠していたのではなくて、そのことが重要なのではない、というメッセージだと私は受け止めました。


●海軍技術学校●

アルゼンチン最大の秘密拘禁施設だったESMA(エスマ、海軍技術学校)は、「記憶の場」のセンターのようなところで、私が訪問している時も、高校生をはじめとしてたくさんの人が見学に来ていました。
海軍の施設なわけですから、これを軍から「回復」して、記憶の場にするのは象徴的な意味があったと思います。

このESMAの展示施設は、オリンポと違って、たくさん説明パネルがあるので、どこで何が行われたのか、一人で行ってもわかるようになっています。まず印象的だったのは、ここから生還したひとが描いた「景色」でした。
手足が縛られ、頭には布袋をかぶせられて列になって横たわってるために、見えるのは自分のおへそから足の先、その先に見える監視者の足だけ・・・。
ガイドをしてくれた女性は、ここに5000人が連行され、生還したのは250人だと言っていました。
今回お招きしているグラシエラさんは、ここに2年間拘束されて、生還した人です。
シンポジウムの用のテキストを読みましたが、心理的拷問のすさまじさは想像が難しいほどです。
ここでのガイドの方の語り口で、これまでの経験と違うなあ、と感じたのは、どのような肉体的な拷問がなされたかについては、こちらが聞かなければ語らないことでした。
ここでは、生還者が語った人間の強さのエピソードのほうを大事にしているようです。

さて、この施設で、私がハイライトだと思ったのは、最後の部屋です。
映像で、ここの管理をした軍関係者の当時の顔写真が出てきてた後、現在の顔写真が出てきて、そこにcondenado、有罪、と訳していいのだと思いますが、その顔写真の上に烙印されるのです。これだけの残虐な行為が行われた場所を見た後に、このようなことをした人が裁かれたことを示し、窓のひさしが自動であがって、視界が明るくなりました。不正義が裁かれることは希望なのだ!というメッセージのようです。


●記憶の公園●

「記憶の公園」は、ラプラタ川沿いにあります。「ラプラタ川」といってもイメージとしては河口というか湾みたい。
軍事政権下、注射で寝かされ、生きたままヘリコプターから海に落とされた遺体がここに流れ着きました。
「死の飛行」と呼ばれたこの殺し方は、ナチスの犯罪とも比較されます。
沖縄の「平和の礎」と同様、ここには亡くなった人たちの名前が刻まれた石のメモリアルがあります。
3万人分の石のプレートがありますが、刻まれているのは名前がわかっている1万人前後。空白にも語るものがあります。
この公園にあるアート作品も紹介したいところですが、ちょっと時間切れです。

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さて、サッカーとタンゴと「母を訪ねて三千里」しか、日本では知られていないと言われるアルゼンチン。
(映画好きなら、ウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」も?)
このイベントへの賛同状況を見ると、遠い国の印象は否めませんが、面白い国であり、面白い人々がいることを知った今、私はわくわくしています。
人々の温かさとか、人懐っこさは、やっぱりラテン系。近いところではフィリピンっぽいでしょうか。

スペイン語という言葉の壁がありますが、今週土曜日のシンポの通訳は、上智大学が共催だからこそ可能だった、ローマ教皇の通訳もしたという超ベテランの素敵な女性です。「英語通訳のひとって、事前に資料って必ず言うけど、スペイン語圏の人って当日貰った資料を一生懸命読んでも、違うこと話すのよね」と笑う肝っ玉系。

地球の裏側からゲストをお招きする機会は、今後、wamにとってもなかなかないでしょう。
まだ間に合います(笑)。みなさんのご参加をお待ちしています!
そして、そこそこ長文のアルゼンチン報告1-3にお付き合いいただきありがとうございました。

渡辺美奈
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