wamblog - アクティブミュージアム 女たちの戦争と平和資料館 -
「慰安婦」問題に焦点を当て、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のブログです。
「慰安婦」の言葉狩りが始まった?
■疾風怒濤の4月でした

街路樹のハナミズキが美しい5月になりました。このブログには、少しずつでも日常のつぶやきを載せていこうと決意したのに、そしてつぶやいていたことは山ほどあったのに、アクセクと目の前の懸案に追われる中で更新できないまま、4月が終わってしまいました。それもこれも、「慰安婦」問題をめぐって、「何とかしなければ!」と思うことが次々とやって来たからでした。

4月には、「慰安婦」関連の民事裁判の口頭弁論が立て続けにありました。写真家・安世鴻さんの「ニコン裁判」、歴史研究者・吉見義明さんと元朝日新聞記者・植村隆さんはそれぞれの名誉毀損裁判。3件とも山場を迎えて傍聴席は溢れてしまうので、「傍聴券の抽選に当たりますように」と祈りながら東京地裁の玄関横に並ぶ日々でした。いずれも勝たねばならない、リキが入る重要な裁判です。

4月23日には、『「慰安婦」問題、解決は可能だ!!』の緊急シンポジウムに韓国から金福童ハルモニと挺対協・代表の尹美香さんを迎える院内集会が開かれて、「女性のためのアジア平和国民基金」の元専務理事・和田春樹さんも参加しました。夜にはハルモニたちと挺対協が進めてきたナビ基金の集会。全国各地から「慰安婦」問題に取り組んできた仲間たちが集まりました。院内集会の参加者300人のうち70人が報道関係者というのには驚いたのですが、残念なことに北海道新聞は「挺対協が日本に法的責任を求める方針を転換」などという誤報を流してしまいました(wamサイトの関連ニュース&トピックス「北海道新聞への挺対協の訂正要求」を参照)。
これまでの四半世紀にわたる「慰安婦」問題解決の歩みを振り返れば、「法的責任をなしにする」なんて方針転換などはありえないと思うのですが、一体どうしたことでしょう?


■新座市教育委員会が「慰安婦」パネル展を拒否

身近なところでは、埼玉県新座市の市民団体が企画した「慰安婦」パネル展の会場使用の許可が下りず、新座市の教育委員長や公民館長、市長などにwamからも抗議文を送る騒ぎがありました。というのも、予定していたのはwamが貸し出す『中学生のための「慰安婦」展』のパネル展だったのです。市の側の不許可の理由は、「啓発的な事業だから」「中学の教科書では『慰安婦』に触れていないから」「『慰安婦』は世論を二分しているから」だといいます。何という驚くべき理由でしょう!

wamでは開館以来、100カ所以上にパネルの貸し出しをしてきました。その6割以上は公的な施設で開かれていますが、このような理由で展示を断られたことはありません。生涯学習の場である公民館が、住民への啓発事業を許可しないというのはどういうこと?1997年度版の中学の歴史教科書の全てには「慰安婦」が記述されましたが、右派による激しいバックラッシュによって2012年度版には記述がゼロになってしまいました。wamのパネルは学ぶ機会を奪われた中学生にもわかりやすく伝える内容で、世界の常識となっている「慰安婦」問題を理解してもらうために作っています。確かに「慰安婦」問題では「世論が二分」されていますが、だからこそ歴史的事実を学ぶ機会は確保されなければなりません。

 主催団体である「にいざジェンダー平等ネットワーク」は新座市に抗議し、市オンブズマンに申し立て書を提出しました。「慰安婦」問題に取り組むNGOのネットワークである「オール連帯」も、そしてwamも、市教育委員会などに抗議文を送りましたが応答はなく、決定は翻っていません。(wamの抗議文・全文はこちら
右派からの抗議を恐れて市教委が自主規制したのであれば、実に由々しい事態です。


■埼玉県平和資料館から戦争加害の記述が消えて

ところがこれは新座市だけの問題ではありません。最近では似たような事件が各地で頻発しています。たとえば埼玉県で起こった同様の事件は、今回で3度目になります。
昨年の7月には、さいたま市の月報「公民館だより」が集団的自衛権の行使容認に反対する女性の俳句、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否しました。「世論が二分されている問題で、一方の意見だけを載せられない」という理由からです。

またwamでは、兵士展カタログ『証言と沈黙』が品切れになったので改訂版を作るにあたり、最新情報を盛り込むことにしました。そこで、2013年にリニューアルされた埼玉県平和資料館(東松山市)の展示が変更されていると聞いて、この2月にwamの運営委員たちで視察に行ってきました。
すると、新しい年表からは、上田清治県知事からクレームがあった「南京大虐殺」も「慰安婦」も削除されていることがわかりました。以前にはあった日本軍の加害の展示もなくなっています。熊谷の空襲の記録などは以前のままですが、あの戦争の加害の事実は封印されたことになります。歴史年表はあまりにも大雑把で、茫然としてしまいました。

私たちはリニューアルされた広くて綺麗な館内を歩きながら、「wamにこの壁の一面でも貸してくれないかなぁ。思いっきり迫力のある『慰安婦』展示ができるのにね」とぶつくさ言うしかありませんでした。来館者の意見として、批判の感想は書いて投函しましたが。


■「慰安婦」が問題視された ウーマン・リブの映画

もっと卑近なところでは、こんなこともありました。
私は高校時代にシモーヌ・ド・ボーヴォアールの影響を受け、大学時代には自分もウーマン・リブだと自認して、男女差別撤廃を訴える先輩女性たちの運動に共感し、集会やたまり場に顔を出す末端の女子学生でした。つい先日、劇場公開されて各地で上映中のウーマン・リブのドキュメンタリー映画『何を怖れる』では、こんな私にも声がかかり、後半にはちょこっと登場しています。

ところが先日、監督の松井久子さんから、「ある自治体の男女共同参画の担当者に、この映画の上映に協力してほしいと言ったら、『映画の中に「慰安婦」問題は出てきますか?』と聞かれたんですよ。『もちろん出てきます』と答えたら、『それでは協力できない』と言われたの」と聞いて驚きました。映画に登場する12人の女性たちの中で「慰安婦」問題を語っているのは、wamでインタビューを受けた私だけです。

「慰安婦」問題に触れているからという理由で、男女共同参画の担当者が身を引いてしまうとは!「慰安婦」制度こそ、女性への人権侵害の“極致”と言っていいような戦争犯罪です。それに私が初めて「慰安婦」という言葉を目にしたのは、70年代のリブの集会で受け取った「日本帝国主義による性の侵略」といった告発のチラシの中で、強烈な印象として記憶しています。
それなのにこの国では、政府も地方自治体も「慰安婦」などなかったことにしようとして、“言葉狩り”を始めているのです。
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「館長のつぶやき」開始宣言―過去4年間のwamだより巻頭エッセイ公開!
ふと思い立って「館長のつぶやき」を始めてみることにしました。

wamの仲間たちから何度も促され、wamのブログにせっかくカテゴリーまで作ってもらいながら取りかかれず、2年半も経ってしまいました。文章を書くのは好きなのにツイッターやFacebookといったSNSが苦手で、何よりも日々、仕事のメールや原稿書きに追われていたからでした。ところが最近、そんなことを四の五の言っていられなくなって、「私もつぶやいてみようかしら」と思うようになりました。

wamのような「慰安婦」被害者の証言や資料を集めた資料館を運営し、日夜、「慰安婦」制度を編み出した日本軍の戦争に関わる仕事をしている身としては、このところの日本の政治や社会の変貌ぶりに唖然・呆然、絶望的な気持ちに陥ることがしばしばです。この国は性懲りもなく、再び戦争への道を転がり落ちていくのではないかと思うからです。特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使容認にしても、「慰安婦」問題を封殺することに血道をあげる安倍首相、さらには沖縄辺野古へ基地移設のごり押しや教科書検定で政府見解をねじ込ませる文科省・・・などなど、歴史を歪曲・捏造しながら全体主義国家へ歩みを進めていく流れが滔々としてきて、日本の前途の危うさは極限に達しています。

これに対して政治権力の監視と批判をすべき立場にあるメディアは、本来の役割を忘れたように、政権へすり寄ったり後追いをするばかりです。これも戦前の1930年代にそっくりです。昨年の8月の「慰安婦」報道検証を機に燃え広がった朝日新聞バッシングには、「リベラル派メディアを一網打尽にするのだ」とも言える異様な雰囲気が満ちていました。

この余波で、wamには国内外からの取材や講演・原稿依頼が殺到しましたが、メディアによる「慰安婦」問題のタブー化や自主規制は一層強くなり、私たちのように「慰安婦」問題に取り組んできた者たちの声はなかなか取り上げられません。

そこで私は、この問題の現状やメッセージを伝えられる場があれば、どんな機会も無駄にするまいと思うに至りました。かと言って、苦手で慣れない「つぶやき」を日常的に発信するのは無理ですから、ぽつりぽつりと始めます。

実はこの「館長のつぶやき」に近いのは、年に3回発行している「wam だより」の巻頭エッセイだと思うのです。先日、まとめて読み直してみたところ、そうか、こんな風につぶやいていけばいいのかも…と、少し気が楽になりました。「つぶやき」と言ってもツイッターのように140字以内ではとても間に合いませんから、まあ、「おしゃべり」以上、「スピーチ」未満とでも言いましょうか。

今回はこの「つぶやき」開始宣言の記念に、「wam だより」の17号(2011年3月発行)から先月末に発行した29号までの巻頭エッセイを、ウェブサイトに掲載してみることにしました。この4年間は、2011年3月の東日本大震災と東電の原発事故という日本の根幹部分を揺さぶる大惨事の後、この国の政治やメディアの劣化が露わになった時期から始まり、2012年12月からの第2次安倍政権下での「戦争ができる国づくり」が着々と進められてきた歩みに沿っています。折々の“悲鳴”に近いつぶやきと、それでも言わざるをえない“決意表明”ばかりで明るい話題に乏しいエッセイですが、気になる話題があったら読んでみてください。

「wam だより」の巻頭エッセイが4ヵ月ごとの「つぶやき」だとしたら、ここではもう少し頻繁につぶやかせていただきます。乞うご期待!(なんて、大丈夫かな。。。)

↓↓wamだよりの巻頭エッセイのタイトル(文章に直接リンクしています)↓↓

29号(2015.3)  国会を包囲した 安倍政権への怒りのレッドカード
28号(2014.11) 常軌を逸した朝日新聞バッシング
27号(2014.7)  「集団的自衛権の行使容認」が連れてくる社会
26号(2014.3)  籾井会長、NHKは政府の広報機関ですか?
25号(2013.11) wamが日本平和学会・平和賞を受賞!
24号(2013.7)  参院選の惨憺たる結果にうなだれつつ、新たな決意!
23号(2013.3)  憲法があぶない!―ベアテ・シロタ・ゴードンさんの遺言
22号(2012.11) 日中韓の危機的状況の中で
21号(2012.7)  沖縄と東京の「慰安婦」問題をめぐる“温度差”
20号(2012.3)  「慰安婦」問題をめぐる日本のメディアの深い闇
19号(2011.11) “民衆蜂起の時代”の連帯活動
18号(2011.7)  原発に向き合う
17号(2011.3)  韓国・闘う女性アーティストとの出会い


日本軍「慰安婦」制度の被害者の証言から分かること
橋下市長はその発言の中で、被害者の証言が「客観的な証拠になりえなかった」と語っていますが、そんなことは決してなく、日本政府を相手に提訴された日本軍による性暴力被害者の裁判10件のうち、8件で被害の事実が認定されています。


9月2日の「wam de カフェ」で配布した資料には、日本国内でも裁判や証言集会などでよく知られている朝鮮半島の女性たちの連行の経緯のリストも含まれていました(資料p12)。そのリストを見てもらえば分かるとおり、「お金が儲かる」「学校に行ける」などの甘言、詐欺によって連れてこられたという証言が多いです。


しかし、このリストの中にも「強制連行」のケースはあります。例えば文玉珠(ムン・オクチュ)さんは路上で巡査に捕まって憲兵隊のようなところへ連れて行かれたというケースですし、日本に女子挺身隊として来られた姜徳景(カン・ドッキョン)さんは、空腹で軍需工場を脱走したところを憲兵につかまり強かんされ、それから慰安所に連行されました。その他、区長、班長といった村の役職をもった権力者たちや、女衒のような朝鮮人男性たちの言葉で連れて行かれているケース、夫や親から身売りされたケース、誘拐されたケースもありました。


当時の朝鮮では未婚女性の動員のために、「挺身隊」や「処女供出」が「徴用」と同義語で使われていました。日本人の巡査や村の権力者から命じられた「処女供出」から逃れるために、娘たちが家や村を離れて隠れたり、駆け込み結婚や、実態のない結婚届けを出すケースもありました。中には黄錦周(ファン・クムジュ)さんのように、「一家に一人は供出」と言われて、奉公先の主人の娘の身代わりとなって徴用された人もいました。


1941年7月ごろ、「関特演」といって、日本陸軍は対ソ連戦のために「満州」へ兵力増強の計画を立てました。この時、関東軍参謀の原善四郎少佐が、朝鮮総督府に朝鮮人女性の徴集を依頼し、8000人を集めたと言われています。これに対して原少佐の部下だった村上貞夫氏は、「私の記憶では、3000人くらいだった」と証言していますが、徴集された女性たちは軍用列車で移送され、長春の兵站班から各地に配属されました。これだけ大量の女性を徴集するには、詐欺や誘拐、徴用など、さまざまな方法がとられたと思われます。


これらは命令書や文書に記述が見つかるような類のものではなく、証拠といえば本人の証言しかありません。さまざまなケースがありますが、特に朝鮮半島の場合は、だまされたケースが多いので、そういうところを狙って、否定派の人たちは「強制連行の証拠はないだろう」と言ってきます。しかし、一人ひとりのケースを丁寧に見ていくことで、「文書に記述がないからといって、強制連行がなかったことにはならない」と伝えていかなければなりません。


半世紀もの間、語れずに苦しんでいた女性たちが、やっとの思いで立ち上がって語り始めた、その言葉を丁寧に聞くことで、いろんなことが分かってくるし、それが一番確かなことなのです。






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