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「慰安婦」問題に焦点を当て、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のブログです。
【資料紹介】中曽根元首相が「取計」ったボルネオ島バリクパパンの慰安所(J_004)
不定期更新になるかと思いますが、「河野談話の日」(…とwam内で命名:8月4日)に公開したwamウェブサイトの新しいコンテンツ、「河野官房長官談話後に発見された日本軍『慰安婦』関連公文書等の公開」ページにある公文書をwamブログで紹介していこうと思っています。

と言っても、それらについては公文書を発見・公表した研究者や市民によって、すでに論文が発表されているわけですから、それら論文の解説をかいつまんで紹介するという二番煎じ的なものなのですけれどね。でも、ネットでの情報発信、本当に大事だと思うので、できる限り頑張って紹介していこうと思います☆

…ということで、記念すべき第1回目は、やはり、wamの特別展と関連させてインドネシアの慰安所に関する資料を紹介しましょう!

【資料No.072:J_004】日本軍/政府資料「海軍航空基地第二設営班資料」(1962.4)

こちらの資料についてはご存知の方も多いかもしれません。
中曽根康弘元首相の名前が出てくる資料なんです。

中曽根元首相と言えば、「二十三歳で三千人の総指揮官」という手記(『終りなき海軍』松浦敬紀編著/文化放送/1978年)で、「私は苦心して、慰安所を作ってやったこともある」と書いていることも有名です。
中曽根元首相の手記2 中曽根元首相の手記1

そして、先月のTBS「報道特集」でも、話題になっていましたが、2007年3月に中曽根元首相が日本外国特派員協会で記者会見をしたときに、この記述も話題となって、外国人記者からの質問に対して、この慰安所は「碁・将棋をやる娯楽所」だったと答えたことも、報道されてきました。

それが真っ赤なウソだったことが、2011年にこの資料が発見されたことによって明らかになりました。
資料を発見したのは、高知の市民団体「平和資料館・草の家」のみなさんです。

防衛省の防衛研究所に所蔵されている「海軍航空基地第二設営班資料」には、「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」とインドネシアのボルネオ島(現カリマンタン島)のバリクパパンでの慰安所開設に関する記述かあります。

公文書J_004_3

さらに、主計長の名前にしっかりと「海軍中尉 中曽根康弘」ってあるんです。

公文書J_004_1

この資料を見つけた「平和資料館・草の家」は記者会見を開き、さらに中曽根元首相に公開質問状を送ってその真偽を問うているのですが、お返事はないとか。wamも現在開催中の「インドネシア・オランダ展」の準備中にぜひお話を聞きたいとお手紙を出したのですが、残念ながらお返事はもらえませんでした。


この資料は、河野談話後に発見された公文書に関する論文一覧で言えば、
藤原義一「タバオ、バリックパパン海軍航空基地 第二設営班慰安所の資料」『季刊戦争責任研究』75号、2012年春季号
に紹介されています。

「平和資料館・草の家」でのこの資料に関する説明会のようすが↓で見られます。
「中曽根元首相と海軍慰安所」(1/2) (2/2)

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