wamblog - アクティブミュージアム 女たちの戦争と平和資料館 -
「慰安婦」問題に焦点を当て、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のブログです。
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コンゴ民主共和国デニ・ムクウェゲ医師のwam訪問
コンゴ民主共和国の産婦人科医、デニ・ムクウェゲさんが来日していたニュースは、テレビや新聞でご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

ムクウェゲさんは、コンゴ民主共和国の紛争のもとで、強かんされて夫や家族、地域から棄てられてしまった女性たちの治療にあたり、支援活動をしてきました。殺されかけてヨーロッパに亡命したものの、地元の女性たちの強い希望で帰国。暗殺の危険にさらされながらも活動を続けています。そして、今回来日し、私たちが日常的に使うスマホ等に使われる鉱物に紛争の原因があること(紛争鉱物)、コンゴで起きている性暴力は日本と無関係ではないことを強く訴えて、次の目的地、ソウルに向かいました。

ムクウェゲさんは10月1日に来日、翌日の朝、最初の訪問地としてwamに来てくれました。女性国際戦犯法廷の映像記録のダイジェスト版を見せると、目頭を押さえながら見ていました。

女性国際戦犯法廷のビデオを見るムクウェゲさん夫妻


「兵士たちは私の身体になんでもやりたいことをした」というフィリピンの日本軍性奴隷制被害者の証言に、「コンゴでも、その言葉を被害者から何度も聞いた」といいます。強かんは戦闘資金がかからず、敵に多大な恐怖を与えられるため、戦争の手段として使われている、それをやめさせるには、加害者が誰であるかをはっきりさせ、国家の責任を問うことが重要だとムクウェゲさんも語っていました。

パネルを見学1

現代も続く紛争下での性暴力


そして、語ること、伝えることの大事さも。最後にお別れするとき、「またすぐに来るかもしれない。私たちは共通項がたくさんある」と言っていました。ムクウェゲさんを追いかけていたTBSもNHKもwam訪問の様子を撮影し、wamでコメントも取っていましたが、まったく報道されなかったので、記録の為にもみなさんに報告したいと思います。


ムクウェゲさんは、10月6日に「ソウル平和賞」を受賞しました。
そこでは日本軍「慰安婦」制度と日本政府の責任についても言及しています。

ムクウェゲさんはノーベル平和賞にノミネートされており、これまでもヒラリー・クリントン賞、サハロフ賞など、数々の人権にかかわる賞を授与されています。ムクウェゲさんについては「コンゴの性暴力と紛争を考える会」に詳しいのでご覧ください。


また、ムクウェゲさんの活動を記録した映画「女を修理する男」は、難民映画祭で10/15に上映されます。性暴力を受けた若い女性が力強く人生を歩みだす場面など、さまざまな学びや気づきがある映画だと思います。
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充実のトークとウォークでwam開館10周年記念イベント☆
2005年8月にオープンしたwamは今年の夏に10周年を迎え、12月5日・6日に、wam10周年を記念するイベントを開催しました。

歴史は消せない 日本軍「慰安婦」の記録と記憶~これまでとこれから

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5日にはwamの活動のこれまでを振り返り、これからを考えるトーク・イベントを開催しました。会場はwamがある同じ建物の中のチャペルで、10年間のプロジェクトで昨年終了したやより賞(女性人権活動奨励賞)の贈呈式が行われてきた場所でもあります。トークには全国各地から50名近くの方が集まりました。

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はじめにwam館長の池田が「日本軍『慰安婦』問題をめぐるこの10年とwamの活動」と題して話しました。日本軍「慰安婦」被害者が勇気をもって名乗り出たことから、社会的な関心を呼び、多くの市民や研究者によって聞き取り調査、資料の発掘が始まった90年代、女性国際戦犯法廷を経てのwamの開館と、ますます戦争の加害に向き合えなくなっていく日本社会…。その中において、wamが記憶と活動の拠点としてあり続けることの大切さを、改めて、身の引き締まる思いで感じていました。

会場にいらしていた会員の方からも10周年のお祝いの言葉をもらいました。

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次に「wamアーカイブス事業の本格化に向けて」と題して、wam事務局長の渡辺が、資料館としてのwamのこれまでの日本軍「慰安婦」に関する資料の収集や記録化の取り組みを振り返り、今後の展望として「wamアーカイブス事業」の構想を語りました。単に関連する資料を保管するということだけにはとどまらない、アーカイブス事業とは? 各地の支援者や研究者が個別に所持する膨大な資料を、どのように次世代に残すのか、そこにwamがどのようにかかわり、支援できるのか? いくつかの具体的なプロジェクトや作業について、夢いっぱいに語りました。

目の前に広がる沢山の困難や課題を確認しつつ、「歴史は消せない」を合言葉に、これからもwamの様ざまな活動を進めていくことを再確認する場となりました。


●会員懇親会―館長のインドネシア展ガイドと軽食パーティ

イベントが終わると、ご希望の方にwam館長の池田によるインドネシア展ガイドを行い、そのまま、wam館内で立食形式の懇親会になだれ込みました。こんな形で会員のみなさまと長い時間をともに共有する企画ははじめてで、とても新鮮な、そして有意義な一日となりました。大変残念なことに、インドネシア展ガイドや、懇親会の様子を写真に撮り忘れてしまいました。おいしい食事の準備と食べるのに一生懸命でした…。

↓ビデオに一瞬写っていた料理の一部(ピンボケですが)
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食事はwamでは毎度おなじみの「赤かぶ」さんのケータリング。それに会員のおひとりが関西風ちらし寿司(見切れていますが左端)とサラダ(写っていない!ガーン)を差し入れしてくれました!どれもとてもおいしかったです。


戦争を伝える方法 東京・戦争被害と加害を考える博物館ガイド・ウォーク

6日には東京大空襲・戦災資料センターと靖国神社・遊就館をめぐるガイド・ウォークを行いました。


●東京大空襲・戦災資料センター

東京には戦争と平和を考えるためのたくさんの施設がありますが、東京大空襲・戦災資料センターは市民による平和博物館の先駆けともいえる施設です。1970年代から本格的に始まった東京空襲を記録する運動の中でも、その後90年代にも東京都による平和博物館などの建設が提案され、中止となる中で、市民の手でこのセンターが完成したのが2002年、2007年に増築・リニューアルされ今にいたります。通常12時開館のところをご厚意で早めに受け入れていただき、ゆっくりと見学することができました。(外観を撮影していませんでした。ここに建物の写真やセンター設立の趣旨が載っています。

センターに着くとはじめに東京大空襲に関する映像を観ました。焼夷弾を落としたB29のパイロットも出ているとても貴重な映像でした。

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映像の後には東京大空襲で罹災した体験者Aさんのお話を聞きました。ずっと空襲のことを話したことがなかったというAさんは、昨年2014年の夏、中学の同窓生に誘われてその同窓生の戦争体験の話を聞きに来て、「生き残った者にもできることがあるのだ」と気づき、それからセンターで語り部の活動を始めたそうです。

3月10日の空襲をお父さんの機転で生きのびたこと、翌日、家や学校の様子を見に行った時のできごとをお話し下さいました。家へと向かう途中の道に転がっていた黒焦げのものが丸太だと思って棒切れでよけながら歩いていたのに、それが人だとわかった時のショックや、木場に浮かぶ遺体の中に学校の先生を見つけたこと、倉庫にずらりとマネキンが並んでいるのかと思ったら、それが蒸し焼きになって亡くなった人びとの遺体だったこと…。
「日本に二度と戦争をさせないために」と語り伝える決意をしてくださったことに感謝の気持ちでいっぱいです。

その後、東京大空襲・戦災資料センター主任研究員の山辺さんに展示のガイドをしていただきました。軍の重要施設がたくさんあるというわけではない、人口の密集する下町への無差別爆撃だったこと、空襲警報の遅れや、防空法によって避難よりも消火活動を優先しなければならなかったことなどが犠牲者を増やし、10万もの人びとが犠牲になったと言われています。

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展示室には東京空襲に関する記録だけではなく、日本各地の空襲や日本軍による中国・重慶への爆撃のこと、日本軍が占領していたことによって戦争末期に連合軍の空襲のターゲットとなったアジアの各地の様子なども展示されています。また、東京の空襲で犠牲になった朝鮮人についての記録のコーナーもありました。

展示の写真などから、さらに深くAさんのお話を考えるきっかけもいただきました。


●お昼 深川めし

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wamのスタッフ・運営委員の面々はみな食べることが大好き。今回のウォークでも「行くからには、その地ならではの何かが食べたい!」と、たくさん議論し「深川めし」を食べることに決まりました。東京下町出身の館長・池田お勧めの老舗でおいしいお昼をいただきました。
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そこから徒歩5分ほどの最寄りの駅までは、池田が道案内。実はその駅のすぐそばに城田すず子さんの生家があった場所があるとのことで、そこに立ち寄ってから次の目的地へ移動しました。そんなところもまたwamのウォークならではですね。
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●遊就館・靖国神社

続いてはご存知、遊就館と靖国神社。wamの来館者にも、遊就館とwamの両方を見学して見比べるというコースはひとつの定番になっています。

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こちらは、数々の靖国関連訴訟に関わり、『靖国の闇へようこそ』(2007年、社会評論社)などの著書もある辻子さんにガイドをお願いしました。館内は撮影禁止なので、外観のみですが、大きいですね。すべてをじっくり見ようと思ったら1日では足りない…辻子さんが大切なポイントを的確に、そしてユーモアも忘れず解説してくれるのを聞きながら、早送りで見学しました。

批判的な立場から行うガイドだからこその苦労や、気配りにも、貴重なガイドを長く継続させるための工夫を感じました。駆け足で回ったのでしっかりと引用をできないのが残念ですが、南京に関する記述や、中国東北地方に関する記述、伏龍や花嫁人形についての展示など、おそらく自分一人で歩いていたら、怒りで素通りしたり、「くだらない」ですませてしまったりしただろう展示内容について、じっくり考える機会になりました。「『ばからしい』ことを大真面目に考えていた、当時のメンタリティを理解することが大事なのだ」という、辻子さんの言葉はとても印象的でした。

みなさまも見学に行かれるときには、ガイドの方、あるいはガイドを聞きながら見学したことのある誰か、と行くと新しい発見があるのでは? と思います。ぜひ☆

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館を出てから、九段下駅の方へ戻る道すがらの境内もいろいろな解説をしてもらいました。全体を通して、そこになぜその言葉で解説がされているのか、あるいはなぜそれには解説がないのか、そういった違いのいきさつを歴史的に説明してくれる辻子さんの解説は、展示やそれへの説明を通して何を印象付け、何から遠ざけようをしているのかという意図を理解する手助けとなりました。

これは、wamのインドネシア展に関連してガイドしてくれた台湾軍第48師団の復員兵が戦後建てた国旗掲揚台。第48師団はジャワ島にいた期間がありました。ちょっと詳しく調べてみたくなりました。偕行文庫とかに行ってみるのもいいかもしれません。
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そういえば、参加した全員での記念撮影をし忘れました…何とも残念です。(F)


日韓首脳会談に思う
日韓首脳会談後のマスコミ報道を見ていると、「韓国は政権が変わるたびにコロコロ変わる」「蒸し返さないよう約束させなければならない」という高圧的な主張が目立つが、その主張の前提となる事実認識が間違っていると思う。

1990 年代に日本軍「慰安婦」問題に関する真相究明や日本政府に対する賠償問題がもちあがって以降、盧泰愚からはじまり、金泳三、金大中、盧武鉉の各大統領まで、日本軍「慰安婦」問題を外交問題化しない韓国政府の方針は一貫していた。

盧泰愚政権は、1990年10月17日付の女性たちの公開書簡に対して、日本の政府には実態調査の努力は求めるが、「補償問題は1965年の韓日請求権協定の締結によって両国政府間の国際法上の権利と義務は一段落した事項」と回答した。

1993年に就任した金泳三政権は、「日本に対して道義的優位性を持つ立場から真相究明を要求する」として、韓日協定に対する解釈とは関係なく、補償を要求しないということは「韓日間に外交問題として争点化させない」と説明した。

金大中政権は「アジア女性基金」に対しては厳しい立場を貫いたものの、請求権の問題で日本政府に交渉しているわけではなかった。だから、ハルモニたちは、日韓請求権協定で「慰安婦」問題が議論されたのか、本当に「解決」してしまった事項なのかを知りたくて、日韓請求権協定に関する文書を公開するよう求めたが、金大中政権下の韓国外交通商部は公開を拒否をした。だから2002年10月、日本軍「慰安婦」被害者、被爆者、軍人、軍属等がソウル行政法院に韓日協定文書の情報公開訴訟を提起したのだった。

大きな転機になったのはその判決が出た盧武鉉政権だ。盧武鉉政権下の2004年2月、情報公開訴訟でハルモニたちが勝訴。2005年8月、国務総理主催の民官共同委員会は、日本軍「慰安婦」問題等、日本政府軍等国家権力が関与した反人道的行為については、請求権協定によって解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任は残っている、と表明した。

にもかかわらず、盧武鉉政権は日本政府に対して何も外交的な働きかけをしなった。ハルモニたちの再三の要求に対して、2006年3月に、「1965年請求権協定により法的責任が終結したという日本と消耗的な法的論争を繰り広げるより高齢の被害者に対する実質的支援が重要だという観点から、我が政府が被害者救済措置のため、このような道徳的優位の観点から日本側には物質的賠償を要求しないという立場を堅持してきた」と返答してきたのだった。

ハルモニたちは怒った。請求権協定で解決していないと表明したのに、なぜ日本政府と外交交渉をしないのか! 
2006年7月、日本軍「慰安婦」被害者109名は、憲法裁判所訴願審判請求書提出した。

そして、韓国の憲法裁判所がその判断を下したのが2011年8月30日、李明博政権の時だった。
憲法裁判所の決定は日本政府に対するものではない。日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権が日韓協定で解決されたか否かに関する日韓両国間の解釈上の紛争を解決しないでいる韓国政府の不作為が違憲である、と決定したのだった。だから、韓国政府は違憲状態にしないためには、外交交渉を始めなければならない。
2011年9月15日、日本政府に二国間協議を提案したのが、今に続く外交交渉の始まりだった。

これまでの経緯をみれば、「慰安婦」問題に対する韓国政府の姿勢に変化をもたらしたのは、日本軍の「慰安婦」にされた女性たちの闘い、とりわけ真相究明と情報公開に基づく司法判断という極めて正当な手段によるものであり、それは2011年にやっともたらされたのだった。1990年代から2000年代、国連の場で日韓政府が「慰安婦」問題でバトルをしていたとしても、それは「ポーズ」のようなもので本気には見えなかった。

韓国政府に対するハルモニたちの怒りを思い起こせば、韓国政府もやっと少しは「まとも」になった、というところだろう。
日本の最高裁には期待できず、憲法解釈まで勝手に変えてしまう政府を変えられない日本の状況から見れば、「慰安婦」問題をめぐるこの状況は韓国民衆がもたらした変化であり、民主化の深化であるとみるほうが妥当ではないだろうか?

このあいだ、「日本の歴史家を支持する声明」を出した米国人の一人から、韓国政府は憲法裁判所の決定を政治的に利用しているのではないか、と言われてびっくりした。米国の日本研究者は、情報ソースが主に日本語と英語のため、韓国のことがわかっていないことが多々ある。韓国の三権分立は私にはかなりマシに見える。例えば、フィリピン最高裁は2010年、フィリピンの「慰安婦」被害者のロラたちの訴えに対して、「外交には介入できない」として棄却したが、まるで砂川判決を聞いているような気分ではないか?

韓国政府への批判だって山のようにある。韓国政府が「慰安婦」にされた被害者の要求を十分に聞いてきたとは思わないし、李明博や朴槿恵の「慰安婦」問題に対する態度に批判したい点は多々あるし、最近の国定教科書問題なんて馬鹿げている。

でも、あらためて思う。女性の人権課題をここまで政治課題にさせたハルモニたちの闘いはすごい! 軍による女性への性暴力の対応をめぐって首脳会談を開かせなかったなんて、歴史上初めてじゃないだろうか。偉そうにしている欧米にだってできる芸当ではない。








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